ぼんやりと死にたい

辛くて耐えられない、すぐにでも消えたい、とか差し迫った死ではなくて、お腹すいたな、服買いたいな、くらいの、死にたいな、がいつもぼんやり頭の中に浮かんでいる。朝起きなきゃ、死にたいな。化粧しなきゃ、死にたいな。早く寝よう、死にたいな。


原因とか理由とか一応考えてみるけれど、わたしはたぶんそこそこ幸せなはずだ。家族はたびたび旅行いくくらいには仲が良くて、少ないけれど友達がいて、地元の大学を卒業して地元で就職をした。お腹が多少弱いくらいで健康だし、お金も小洒落たカフェのランチの金額が痛くないくらいには、ある。


自分の葬式を思い浮かべるのは、中学生くらいからの習慣だ。イメージはその都度の環境で変わるし、年々葬儀に出席する回数が重なってきて、細部がはっきりしていく。

花はいくつあがるだろう。咽び泣いてくれる人が一人でもいると満足だ。最近写真撮ってないし入社したときの社員証の写真とか、大学卒業の写真を遺影に使われるのは恥ずかしいな。


ぼんやりと考える。嫌なことがあったとか、明日がつらいとかそんなのは関係がなかった。愛車を運転して職場に向かい信号で止まった朝。コンビニでデザートを眺めているとき。ランチをしていて友達がトイレに立った瞬間。ネットサーフィンしている午前0時。


当たり前みたいにそこにある。いつか必ず人間は死ぬとかそういう話ではなくて、ずっと頭の中で囁いている。

死ぬのはこわい。矛盾しているけれどそう思う。今すぐに行動して死にたいと思ってるわけではないのも確かなのに、だけど、どこか遠くにいきたいとか何もかも忘れて遊びたいとかひたすら引きこもっていたいとか、それとはなんとなく違っていた。


死にたい、以外に適切と思える言葉がなくて、まるであくびをするように、ふとしたときに言葉が落ちる。